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中垣克久の顔画像にプロフィール経歴に国籍は?「間抜けな日本人の墓」の作者!炎上経緯も!

 

今回は、「中垣克久の顔画像にプロフィール経歴に国籍は?「間抜けな日本人の墓」の作者!炎上経緯も!」という事で書いていきたいと思います。

 

あいちトリエンナーレの「間抜けな日本人の墓」という作品が炎上していました。作者は中垣克久さんという方です。中垣克久さんの顔画像、経歴プロフィール、国籍に迫ってまいりたいと思います。

 

 

「間抜けな日本人の墓」作者は中垣克久さん

 

まず、間抜けな日本人の墓とはどの様な作品か見ていきたいと思います。

 

 

どの様な作品かというと、まず全体的には円形のテントの様な作りで、上に日の丸があり特攻隊の方々の寄せ書きが使われています。

 

テント上の下の部分はアメリカの星条旗。そして、「日本は今病の中にある」などと書かれた紙が貼っててあり、しめ縄の様なものがつけられています。

 

こちらの作品の題名は「間抜けなの本人の墓」とされていますが、正式名称は「時代の肖像ー絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳ー」というらしいです。

 

こちらの作品からSNS上では怒りの声が殺到し、炎上状態になっています。その怒りの理由としては、特攻隊で散っていった方々がバカにされ汚されているからです。

 

そもそも、なぜ中垣克久さんが特攻隊の寄せ書きを所有しているのか謎ですが、本物でしょうか?レプリカでしょうか?

 

どちらにせよ、この様な作品の一部に使うというのは寄せ書きをされた方の家族に確認したのでしょうか?

 

寄せ書きをされた方の家族がこの作品を見たらそれは怒るでしょうね。日本の為に戦った英霊たちを侮辱されている事でこんなにもネット上からは怒りの声が上がっているので。

 

家族からしたらその怒りは計り知れないでしょう。侮辱罪で訴えてもいいくらいですね。しかしながら、それは一部の作品の解釈にすぎません。

 

実のところ、この作品は第二次世界大戦で敗戦を迎えてからというもの、アメリカ追従の現代人を間抜けとしている作品だという見方もあります。

 

もしもそのような解釈から行くと、墓というのは現代人を葬る為の墓という意味でしょう。それでは、ネット上の怒りの声を見ていきたいと思います。

 

「間抜けな日本人の墓」中垣克久作で炎上ネットの声

 

 

 

中垣克久の顔画像にプロフィール経歴に国籍

 

では、中垣克久さんの顔画像にプロフィール経歴に国籍などなどに迫っていきたいと思います。まず、中垣克久さんの顔画像がこちら。

 

 

なお、あいちトリエンナーレではないですが、別の展覧会で作品撤去された事に当たりまして中垣克久さんにインタビューをした動画もありますので、そちらも貼っておきたいと思います。

 

 

ちなみにこの動画で撤去された作品というのは、あいちトリエンナーレでも撤去されたものと同じ作品であると思われます。

 

そうだとすると、中垣克久さん自身が語っているとおり、の本人の今を表現した作品という事であり、特攻隊で亡くなった英霊を「マヌケ」と称した作品ではなさそうです。

 

【中垣克久さんプロフィール】

 

名前:中垣克久(なかがきかつひさ)

生年月日:1944年(誕生日不明)

出身:岐阜県

職業:飛騨市立中垣克久彫刻庭園美術館名誉館長 作家

 

美術には、人の想いを語りかけるものと人々の想いを語りかけるものの二つのタイプがある。中垣克久はそのどちらにあたるだろうか。

代表作《時代ときの肖像》は、かまくら型の外壁に憲法9条尊重、靖国神社参拝批判、安倍政権の右傾化への警鐘などの言葉を掲げる。天頂部には日の丸があり、底部には星条旗がある。対米追従軍拡批判のための見取り図と社会メッセージを呈示する作品、と一見したところ解釈できる。

中垣の作品は土俗的な民間信仰がモチーフの作品もある。性をおおらかに肯定する陽物信仰や仏教の捨身供儀である補陀落渡海などが主題だ。ここには、信仰というかたちであらわれた人々の想いの代弁がある。

時代ときの肖像》もその外形が古い民間習俗であることを考えれば、人々の心に根ざした想いを代弁する器のような作品と見ることもできるのではないだろうか。個である自身の心の発露だけでなく、衆の心を拾うのもまたアーティストの役割だ。

本作は2014年の東京都美術館の「第7回現代日本彫刻作家展」で、作品のメッセージが館からの検閲で問題視され、その部分の撤去を強いられた。汲み取った想いが深いほど、「体制」からは否定される。これもいまの日本の美術事情だ。

 

あいちトリエンナーレの作品作者紹介分にはこのように書かれています。

 

【中垣克久経歴】

 

☆1944年  岐阜県に生まれる
☆1968年  東京芸術大学大学院彫刻科修了(菊池一雄教室)
☆1969年  第33回新制作協会展 新作家賞受賞(東京都美術館)
☆1970年  第34回新制作協会展 新作家賞受賞(東京都美術館)
☆1971年  第35回以降1984・1988年を除いて毎年出品、現在に至る
☆1986年  第1回ロダン大賞展 大賞受賞(美ヶ原高原美術館)
☆1987年  内閣総理大臣より芸術と文化に貢献として表彰(首相官邸)
☆1987年  丹沢野外彫刻展
☆1988年  長野市野外彫刻賞特別賞受賞
☆1987年  具象彫刻の新風展(神戸市、ギャラリーオブジェ)
☆1987年  長野市制90周年記念作品設置(長野市庁舎前)
☆1987年  公費留学イタリア ミラノ市
☆1987年  (国立プレラアカデミア彫刻科、マルケーゼ教室)
☆1989年  酒造記念碑「酒杜氏の像」司馬遼太郎氏との協同制作(渡邉酒造依頼)
☆1996年  衆議院副議長・渡部恒三氏像制作
☆1996年  「中垣克久・音楽で綴るかたち」(ギャラリーせいほう・東京)
☆1996年  大阪「松竹座」修復 彫刻部門監修、制作
☆1997年  中垣克久美術館開館(岐阜県古川町アートインふれあい館)
☆1997年  長期講座開講一新しい具象彫刻を求めて-(横浜美術館)
☆1997年  個展(松坂屋本店・名古屋)
☆1999年  中垣克久音楽彫刻展(袖奈川県立藤野芸術の森美術館)
☆1999年  「14の提言」展(三越本店・東京)
☆1999年  「地球は私達の星」にて大阪市よりアメニティー賞を受く
☆2000年  アートミーティング彫刻シンポジウムを企画(岐阜県古川町)
☆2002年  音楽で綴る彫刻展(岐阜高島屋)
☆2002年  東海北陸自動車道アクセス道卯の花街道・猪臥山トンネル開通
☆2002年  記念モニュメント手橇の像「山と生きる」建立
☆2002年  個展(東京・日本橋高島屋、大阪・なんば高島屋、
☆2002年      名古屋・ジェイアール名古屋高島屋)

☆現 在   新制作協会会員
☆現 在   日本美術家連盟会員
☆現 在   中垣克久美術館 名誉館長
☆現 在   文化女子大学教授

 

なお、今回のあいちトリエンナーレでの作品撤去に当たって、中垣克久さんへのインタビューがありますので、紹介しておきたいと思います。

 

-中止をどう思うか。

 「五年前には『殺す』と言われた。脅迫の電話が美術館や自宅にも相次いだ。今回、脅迫があっても、まずは『警察に言います』でいいのではないか。暴力から市民を守るために警察がある。警備強化のプロセスを飛ばし、いきなり中止を決めた。脅迫や暴力を肯定したことになる。騒げば展覧会を中止にできるという前例を作ってしまった。こんなに軽く主催者側が折れた事例は、知る限りない」

-来場者の反応は。

 「『頑張ってください』と言ってくれる人が多かった。直接、私への脅迫は聞いていない。ただ、知人の画廊経営者から『こんな(日韓関係悪化の)時期に慰安婦像の展示はおかしい。一緒に出品する中垣さんもおかしい』と言われ、その画廊で来年予定していた個展の開催は難しくなった」

-慰安婦像をどう見る。

 「純粋芸術ではないが、表現の自由を考える展覧会に出すことは悪くない。見た人が自由に評価なり反駁(ばく)なりすればいい。そういう自由がなくなっている」

-政治家の発言は。

 「河村たかし名古屋市長の撤去要請は、表現の自由を保障した憲法に反する。補助金交付と絡めた菅義偉(すがよしひで)官房長官の発言も許せない。文化の独立性を汚した」

-主催者から説明は。

 「三日夜遅く、実行委員会から電話で『展示できなくなった』と。作家抜きの決定はおかしい。これも一種の暴力。四日夜、芸術監督の津田大介氏から謝罪の電話があったが、個々の作品と作家に対し、なぜ展示中止なのか、文書で理由の説明を求めたい」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080502000149.html

 

まとめ

 

今回は、「中垣克久の顔画像にプロフィール経歴に国籍は?「間抜けな日本人の墓」の作者!炎上経緯も!」という事で書いていきました。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 


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