事件

尾形英紀の生い立ちと16歳少女の吉村カオリの本名(名前)に顔画像に現在!熊谷男女4人殺傷事件の犯人!

 

今回は、「尾形英紀の生い立ちと16歳少女の吉村カオリの本名(名前)に顔画像に現在!熊谷男女4人殺傷事件の犯人!」という事で、平成の凶悪事件、熊谷男女4人殺傷事件の犯人である尾形英紀と16歳少女の吉村カオリ(仮名)に迫ってまいりたいと思います。

 

熊谷男女4人殺傷事件の主犯である、尾形英紀の生い立ちと、6歳少女の吉村カオリ(仮名)の本名(名前)に顔画像に現在などなどを調べてまいりたいと思います。

 


 

熊谷男女4人殺傷事件の主犯は尾形英紀と16歳少女の吉村カオリ(仮名)

 

熊谷男女4人殺傷事件とは、2003年に埼玉県熊谷市で発生した男女殺害拉致事件です。被害者は男性1人、女性3人で合わせて4人。

 

内、男性と女性1人は殺害され、女性2人は重傷を負っています。殺害方法は、包丁で刺す、監禁する、鼻と口を瞬間接着剤でふさぐなど残忍なもので、その犯行を当時26歳の尾形英紀と当時16歳の少女(吉村カオリ:仮名)に、当時15歳の少年の3人が行っています。

 

事件の発端は、吉村カオリが被害者男性の鈴木秀明さんと尾形英紀の2名と同時に交際していた事によります。

 

吉村カオリは、鈴木秀明さんの家に居候の形で同居生活を送っていましたが、同時にヤクザの尾形英紀と交際をはじめます。

 

吉村カオリにとって鈴木秀明さんは同居させてもらいながらうっとおしい存在であり、尾形英紀にとっては自分の恋人の恋敵である憎むべき存在でした。

 

事件は、吉村カオリが尾形英紀をけしかける形で始まりますが、なんと被害者女性3人は犯行を見られたことによる口封じで殺害、重傷を負わされたのでした。

 

もう少し事件の全貌を分かりやすく見ていきたいと思います。

 


 

熊谷男女4人殺傷事件の全貌

 

カオリが鈴木さんに会ったのは、2003年の6月頃だという。熊谷駅周辺で飲食店従業員を勧誘していた鈴木さんがカオリに声をかけて、2人は知り合いになり、カオリは鈴木さんのアパートで寝泊まりするようになった。

カオリは当時、家を出て、熊谷市内の友人の家を泊まり歩く日々を送っていた。寝る部屋を快く提供してくれる鈴木さんは、カオリにとって都合のよい友人だったのだろう。カオリによれば、2人の間には最後まで肉体関係はなかったという。

そして同年7月上旬、カオリは同じく熊谷駅周辺で、妻子のある尾形英紀に声を掛けられ、今度は即日、肉体関係を持った。そして尾形が経営するゲーム喫茶店に出入りするなどして、尾形と交際するようになった。

男性の家に肉体関係なしで寝泊まりしながら、別の男性と交際をする少女。そんなカオリにとって、鈴木さんの存在は次第に欝陶しいものになっていったようだ。

この頃、カオリは尾形に対して、「奴は彼氏でもないのに、部屋にいないとすぐ電話をかけてきて、今どこだとか、誰といるんだとか、私のやっていることをしつこく聞いてくる。私の家の方まで探しに行ったらしい。奴は私を自分の彼女だと思っているみたい。本当にうざい。キモい奴だよ~」と漏らしている。

それを聞いた尾形は、7月下旬、2人の待ち合わせ場所まで出かけ、「カオリは俺の女なんだよ。手を出すんじゃねぇ」と鈴木さんを恫喝し、カオリから手を引くように要求した。

このため、カオリはいったん鈴木さんに鍵を返し、実家に戻る。しかし程なく、熊谷市内の友人宅を泊まり歩くようになり、なぜか再び鈴木さんに連絡を取って、鈴木さんが不在中に、アパートの部屋を使用させてもらうようになった。

8月16日、カオリがその部屋で寝ていると、勤務先から帰宅した鈴木さんが、身体を触ってきた。胸を触られ、服を脱がされそうになった。そこでカオリは、「ふざけたことしやがって。マジうざい」と、鈴木さんに嫌悪感を募らせるようになる。

同月18日、カオリはこの出来事を、熊谷市内のファミリーレストランで尾形と少年Aとランチを取っているときに、尾形に訴える。

「目が覚めたら、無理やり押さえつけられて、服を脱がされそうになって、やられそうになったんだ」と、カオリは言う。それを聞いた尾形は、激昂した。

「あの野郎、俺をなめやがって。ただじゃすまねぇぞ。あれだけ言ったのに、人の女に手を出しやがって。人の女と分かっていて手を出すってのは、喧嘩売ってんのと同じだよな。今から奴んとこ行って、やっちゃうべ」

カオリは、その尾形の言葉に対して、こんなふうに答えたという。

「そうだよ、やっちゃって。やっちゃってよ。やっちゃえ、やっちゃえ」

カオリと尾形、そして少年Aは、さっそく尾形の車に乗り込んで、鈴木さんのアパートに向かった。途中、尾形は自分のゲーム喫茶に立ち寄り、包丁1本を持ち出している。

午後1時、アパートについたところで尾形はカオリに確認する。「本当にやっちゃって大丈夫なん?」「大丈夫だよ。やっちゃって」と、再びカオリは言う。

最初、鈴木さんは自室の202号室に不在だった。そこでカオリは、「もしかしたら隣の部屋にいるかもしれない」と尾形に教える。そのアパートは、鈴木さんの勤務する飲食店が借り上げているアパートで、住人はみな店の従業員たちだった。

205号室(A子さん方)に行くと、そこに鈴木さんがいた。ちょうど、同僚のA子さんに出勤用の背広のズボンを縫い繕ってもらっているところで、下着姿だった。この姿を見て、カオリはこんなふうに思ったと供述している。

「こいつ絶対、この女とセックスしてたよ。ついこないだ私を犯そうとしときながら、今度は別の女かよ。キモ過ぎ。許せねえ。やっぱ、殺されても当然だよ、こんな奴は」

尾形は202号室に鈴木さんを連行、一緒にいたA子さんも同様に部屋に連れ込んだ。

「お前、俺の女とやろうとしただろう。やくざをなめてんのか」

尾形は怒号しつつ、鈴木さんの頭を蹴りつける。鈴木さんは「すみません」と謝罪したが、カオリと肉体関係を持とうとしたことを否定したことから、尾形はさらに激昂。屈み込んだ鈴木さんの背中に、尾形は包丁を何度か突き刺した。さらに、うめきながら床に倒れこんだ鈴木さんの前方に回りこみ、「ううう、じゃねえよ」と怒鳴りながら、腹部を数回突き刺した。

鈴木さんは、刺された傷口から血液を噴出させながら、手足を激しく動かし、もだえ苦しんでいた。尾形は側にあった布団を、その鈴木さんの上半身に掛け、「うるせえな。こいつしぶてえな。まだ死なねえ」と言いながら、布団の上から頭部を踏みつける。

この間、カオリは同じ部屋の中で、放置していた自分の衣類などを片付けていた。さらに、尾形に頼まれ、倒れこんで布団を掛けられた、絶命寸前の鈴木さんの頭部を踏みつけた。また、尾形が握ってしまったパイプハンガーの指紋をふき取ったりしていた。このほか、1人で205号室に戻り、A子さんの手帳に挟んであった3万円を窃盗したりもした。

血なまぐさい殺人現場で、カオリの態度は、まったく平然としたものだった。

殺人が行われている部屋をのぞいたB子さん、さらにB子さんの部屋にいたB子さんの友人のC子さんも、「殺人現場を見ただろう」という理由だけで拉致され、秩父山中を車で連れまわされたあげく、尾形に次々と殺傷されることになったのだ。

女性たちを拉致する際、尾形はカオリにこう尋ねている。

「こんなにいっぱい知られちゃったら、ただじゃ済ませられないよな。目撃者が多すぎるよな。絶対こいつら言いそうだから、どうしようか。みんなやっちゃおうか」

カオリはそれに対して、「うん、やるしかないでしょ」と煽り立て、賛同した。

尾形はまず、秩父市内の美の山公園第2駐車場の公衆便所で、C子さんの頸部にタオルを巻きつけて絞り上げ、背部めがけて包丁を振り下ろし、全治6週間の傷害を負わせた。

さらに、美の山公園観光道路脇でB子さんを降ろし、同じく頸部にタオルを巻きつけて絞り上げ、背部を3回突き刺してから、斜面に蹴落とした。B子さんは窒息によって死亡。このときカオリは、斜面に落ちたB子さんが痙繁し息絶えたのを確認して、冷静に尾形に報告している。カオリはこれらの殺傷の間、車の中にいて、煙草を吸いながら、残りの女性たちが逃げないように見張りをしていた。

その後、A子さんは熊谷市内に連行されたあと、物置の内部で瞬間接着剤を鼻口部に塗布され、頸部にビニールロープを巻きつけられ、包丁で何度も突き刺された。彼女が自力で物置から這い出し、通りかかった男性に助け出されたのは、ほとんど奇跡と言えるものだった。

 

これらが詳しい事件の全貌や流れになります。

 


 

尾形英紀の生い立ちと現在は?

 

事件の主犯、尾形英紀とはどの様な人物だったのでしょうか?

 

 

名前:尾形英紀

年齢:26歳(事件当時)

職業:元稲川会系暴力団員、ゲーム喫茶店経営

 

尾形英紀の生い立ちに関してですが、尾形英紀が生まれ育った家庭環境や出生地、出身中学や出身高校につきましては情報がありませんでした。

 

情報によると、尾形英紀は子供の頃はスポーツ万能だったという事です。中学生の頃は男子テニス部で主将を務めていたという事です。

 

しかし、中学生の頃同時に非行も始まり、中学2年からシンナーを吸い始めたという事です。中学時代には同時に以下の様な非行を行っています。

 

・バタフライナイフで同学年の男子生徒の左胸部と背部を刺し怪我を負わせる

・友人と共に金属バットを用いた強盗致傷事件を起こして中等少年院送致となる

・退院後間もなく、友人と共に傷害、恐喝事件を起こし再び中等少年院送致となる

 

中学でこれだけの事をしているので、筋金入りの不良だったのでしょう。尾形英紀は高校に進学しますが、中退し、暴力団関係者と交際を持つようになったという事です。

 

事件を起こし、2度目の少年院送りになった後、一度暴力団に所属し幹部組員になったという事です。1998年に傷害・暴行・恐喝未遂・道路交通法違反で懲役1年6ヶ月(執行猶予5年・保護観察付き)の有罪判決を受ける事となります。

 

2001年には再び傷害罪で懲役6ヶ月の実刑判決を受け、執行猶予取り消しとなります。2002年に刑務所を出所して、2003年に熊谷男女4人殺傷事件を起こします。

 

尾形英紀は1998年に結婚し、長女も生まれており、共犯の16歳の少女(吉村カオリ:仮名)とは不倫関係だったという事です。

 

尾形英紀は、吉村カオリが自分に好意を寄せていることを利用し、場合によっては性風俗で働かせようと考えていた様です。

 

尾形英紀は、犯行当時、何度も10歳も年下の16歳少女に「本当に殺していいのか?」と確認したり、短絡的すぎる犯行でおかしな部分があります。

 

裁判では当初、薬物や飲酒による心神耗弱状態だったとの弁護側の主張もありましたが、最終的には判断能力はあったとされ、死刑が確定しています。

 

2010年7月28日、東京拘置所で尾形英紀の死刑が執行されました。享年は33歳でした。

 


 

16歳少女の吉村カオリの本名(名前)に顔画像に現在

 

一方、尾形英紀を駆り立てた16歳少女の吉村カオリ(仮名)は現在どこで何をしているのでしょうか?犯行当時未成年との事で、吉村カオリの本名(名前)や顔画像などは公開されませんでした。

 

結論から申しますと、吉村カオリの本名(名前)や顔画像は調べてみましたが、判明はしませんでした。今であればネット文化が進んでいますので、すぐに本名や顔が特定されていたかもしれません。

 

しかし、事件当初は2003年とインターネットも発展途上だった為、それらを特定する人物もいなかったのでしょう。

 

吉村カオリは以下の様に刑が下されています。

 

2004年11月18日、さいたま地裁の福崎伸一郎裁判長は求刑通り懲役5~10年の不定期刑を言い渡し、確定した。

 

ですので、現在は刑務所などの保護施設ではなく実社会で暮らしているものと思われます。

 


 

16歳少女の吉村カオリの生い立ちがヤバい

 

16歳少女の吉村カオリ(仮名)は、犯行時の言動を見る限り、かなりのサイコパスと言えます。

 

「あの野郎、俺をなめやがって。ただじゃすまねぇぞ。あれだけ言ったのに、人の女に手を出しやがって。人の女と分かっていて手を出すってのは、喧嘩売ってんのと同じだよな。今から奴んとこ行って、やっちゃうべ」

カオリは、その尾形の言葉に対して、こんなふうに答えたという。

「そうだよ、やっちゃって。やっちゃってよ。やっちゃえ、やっちゃえ」

 

午後1時、アパートについたところで尾形はカオリに確認する。「本当にやっちゃって大丈夫なん?」「大丈夫だよ。やっちゃって」と、再びカオリは言う。

 

鈴木さんは、刺された傷口から血液を噴出させながら、手足を激しく動かし、もだえ苦しんでいた。尾形は側にあった布団を、その鈴木さんの上半身に掛け、「うるせえな。こいつしぶてえな。まだ死なねえ」と言いながら、布団の上から頭部を踏みつける。

この間、カオリは同じ部屋の中で、放置していた自分の衣類などを片付けていた。さらに、尾形に頼まれ、倒れこんで布団を掛けられた、絶命寸前の鈴木さんの頭部を踏みつけた。また、尾形が握ってしまったパイプハンガーの指紋をふき取ったりしていた。このほか、1人で205号室に戻り、A子さんの手帳に挟んであった3万円を窃盗したりもした。

血なまぐさい殺人現場で、カオリの態度は、まったく平然としたものだった。

 

女性たちを拉致する際、尾形はカオリにこう尋ねている。

「こんなにいっぱい知られちゃったら、ただじゃ済ませられないよな。目撃者が多すぎるよな。絶対こいつら言いそうだから、どうしようか。みんなやっちゃおうか」

カオリはそれに対して、「うん、やるしかないでしょ」と煽り立て、賛同した。

 

事件翌日、カオリは熊谷市内の夜の町を俳御し、窃盗した金でショッピングを楽しんだ。逮捕され身柄を拘束されてからも、事件の重大性を理解せず、検察官の取調べに対して、「今一番したいことは?」と問われ、「ファミレスとかゲーセンに行って、他の客を見て、あいつは変だとか言って、笑いたい」と答えたという。

さらに殺害された鈴木さんに対しても、「あいつが私を犯そうとして殺されたのだから、悪いとは思っていません」と言い放った。

 

被害者のA子さんは言う。

「でも公判を通して、あの子は、まったく反省しているように見えませんでした。法廷では、供述を翻して、“見張りなんかしていない”“(尾形が)殺すとは思わなかった”と言っていたんですから。実際に、私を逃がすチャンスはいくらでもあったのに、逃がそうとしなかった。それどころか、腹を裂かれて苦しんでいる鈴木さんの頭を、布団の上から“こんな感じでいいの?”というふうに、平然と踏みつけていたんですよ。一緒にいた少年の方が、気持ち悪くなって、部屋になかなか入って来られないというのに。あの子は、ちょっと、普通じゃないんです」

 

公判中、カオリからA子さんの実家に謝罪文が送られてきたという。内容は、弁護士に書かされたような通り一遍のもので、「まったく心がこもっていない謝罪文だった」という。

 

などなど、しかし、それには壮絶過ぎる家庭環境が影響していた様です。

 

吉村カオリが生まれたのは、1986年11月。母親は「小さい頃から甘えん坊だった」と、彼女の幼い頃を振り返る。母親が家にいるときは、いつもそばから離れず、衣服の裾をつかんでいるような子どもだった。

家庭の状況は、およそ幸福とはかけ離れていた。

生まれたとき、家庭には異父姉の長女と、次女、長男の兄がいた。父親は資産家の長男で、経済的には豊かだったが、子どもたちに極めて暴力的だった。

とくに長女と次女に対する扱いがひどく、殴りつけることはもちろん、庭にある池に投げ込んだり、紐で縛り上げて梁に吊るしたりするような暴力を、日常的に加えていた。カオリを含む幼い子どもたちは、その暴力を、正座しながら見守っていたという。

髪の毛をつかんだまま、子どもを2階まで引きずっていく。体をガラス戸に叩きつける。縛り上げられた子どもが「おしっこ」と言っても、その場で尿を垂れ流しさせる……。

「父親の暴力は、子どもたちが血を流すまで止まりませんでした。叱る理由は何もなく、自分の気分で暴力を振るうのです。止めに入ると、逆ギレして、子どもたちに対する暴力がさらにエスカレートするので、私はただ見ているだけ、何もできない状態でした」

父親が帰宅する車の音がすると、家の中は極度の緊張が張り詰める。子どもたちは皆正座して、今度は自分の番ではないかと恐れおののく。正常な家庭とはいえなかった。

カオリが5歳になったとき、母親は離婚を決意した。夫の暴力に耐え切れなくなったためだ。なぜか、父親がカオリに手を上げたことは一度もなかった。しかし姉たちに対する父親の暴力は、カオリの幼い心の中に無意識のうちに焼きついていたはずだ、と母親は言う。だからこそ、尾形の暴力を目の当たりにして、何もできなくなってしまったのだ、と。

母親は離婚したあと、父親と別居して、子どもたち4人と暮らし始めた。しかしその生活も長くは続かない。約2年後、母親は経済的な事情から、長男とカオリの2人を、すでに後妻と連れ子がいる父親のもとへ預けたのだ。カオリが小学1年生のときだった。

10カ月後、近くの公衆電話から電話があった。受話器から、長男の泣き声がする。「どうしたの?」と聞くと、父親の後妻に電話ボックスに置き去りにされたという。結局、長男とカオリは再び母親の元にもどってきた。

「カオりたちにすれば、ものすごく傷ついたと思います。母親である私に一回捨てられ、今度は父親にも捨てられて。だから、戻ってきた時からは、かわいそうだと思って、上の子たち(姉2人)以上に、愛情を注いで育てたつもりです。不思議なことですが、父親にあんなにひどい虐待を受けた上の姉たちが、まっすぐに育ったのに、カオリと兄がグレてしまった。私の育て方が、どこかで間違っていたのかもしれません」

もっとも、母親のカオリに対する愛情には、物理的に限界があった。育ち盛りの4人の子どもを養育するため、母親は昼も夜も働きに出て、結果的に子どもと接する時間が少なくなってしまったのだ。子どもたちと会えるのは、週1日の休日のときだけ。不在の間は、同居していた祖母が母親の代わりとなって子どもたちの面倒を見ていた。

カオリは元来、気持ちの優しい子どもだったという。母親代わりの祖母が大好きで、母親が祖母と口論すると、カオリは必ず祖母の味方をして、後でこっそり祖母を慰めるようなところがあった。そんなカオリが、小学校低学年の頃、一度だけ、「お母さん、誰とでもいいから結婚して」と言ったことがある。「今から考えれば、父親がいないので、ずっと寂しい思いをしていたのかもしれない」と母親は振り返った。

そして、ちょうど小学校の卒業式を終えたあと、ある出来事が起きた。ふとしたことから、父親が働いている場所が分かり、カオリは勇気を出して一人で会いに行くことにしたのだ。捨てられたとはいえ、5年間も会っていない父親である。カオリは精一杯のおしゃれをして、父親が店頭販売で働いている店先へ足を運んだ。

「私は車をとめて外で待っていました。するとカオリが、すぐに泣きながら戻ってきました。カオリだと知りながら、父親は一度も目を合わせようとしなかったそうです。子どもにしてみれば、『もう二度と来るな』と言われたような気がしたんでしょう」

父親に素っ気なく扱われ、泣いて帰ってきたカオリは、以後、絵に描いたような非行の道を歩んでいくことになる。

中学校に入る直前の春休みから、カオリの外泊が始まった。

 

という事で、吉村カオリの非行は、中学から始まっており、その決め手は会いにいった父親に無視されたのが原因の様です。

 


 

まとめ

 

今回は、「尾形英紀の生い立ちと16歳少女の吉村カオリの本名(名前)に顔画像に現在!熊谷男女4人殺傷事件の犯人!」という事で書いてきました。

 

ありがとうございました。


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